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滝沢さんと手かざしのこと

 投稿者:だんま  投稿日:2006年11月 1日(水)01時17分1秒
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   手かざしについての内省に接すると、どうしても『現代における医療と宗教』(創言社)を思い出します。眼病を患った最晩年の滝沢さんが、手かざしでその進行を止めたのを機にとりくんだ著作です。亡くなるまでの四年間、ほとんど毎日手かざし治療を受けた成果と言っていいでしょう。

 手かざしの「効果」に接してまず眼を開かれ、それについて内省を深める、という点で、さらにその内省のポイントにおいても、シュタイナーさんと滝沢さんで、ほぼ同じ軌跡を見ることが出来ます。ただ、滝沢さんはもっぱら受け手で、理論的根拠に関心が強かった。授け手になって効果を知らせたいという、シュタイナーさんのような動機はなかったと言えるでしょう。

 そこで、手かざし、その効果について、滝沢さんが何を言ったのか、ちょっと復習してみたいと思います。記憶だけで書いてみます。以下、私のことばでまとめますので、文献的な正確さは念頭にしません。

 手かざしの効果に接したあと、なぜそんなことが有り得るのか、かれは晴明教の教義に尋ねました。「霊主体従」「西洋医学批判」「病・貧・争からの解放」といった教えに強く惹かれました。そして、それを自分なりに理解しようとします。最後は教えの批判にまで至りますが、それはかれなりの新たな理論付けでもあったわけです。つまり、最後まで手かざしを否定はしませんでした。

 滝沢さんの解釈だと、「霊主体従」とは、私たちの身体が「心と別の、死んだ物体」ではなく、「生きた(心の通った)からだ」であるということです。生命といってもいいでしょう。哲学的には物活論です。ピュシスです。ただ、滝沢さんはその根拠まで突っ込んでいく。身体がそういうものであるのは、人間が神人関係においてあるからだ、というわけです(「即」の考え方ですね)。「からだ」とは神様への応答として、人間がその都度の形をとったものです。その「からだ」を「心」と「身体」に抽象して、バラバラに見ていくのが西洋近代医学の考え方です。それによれば、「ひとつのからだが他のからだに距離をおいて働きかける」ということは、考えられない、ありえない。迷信だ、気のせいだ、偶然だ、あるいは、逆に、神秘だ、奇跡だとなる。しかし、「からだ」を上のように具体的に考えればそれは十分ありうる。私たちの「からだ」とその生きる時空は神さまのそれだからです。滝沢さんはそう考えて手かざしの効果を自分なりに納得したと思います。(「からだ」から「霊線」が出て、といったきわどい説明にまで踏み込んでいます)

 ところで、手かざしは万能でしょうか。そうでないとしたら、どこからどこまで有効でしょうか。当然そう内省します。この点については、二点あるでしょう。一つは「病貧争」の問題です。もう一つは「病」の問題です。「病」の問題は、手かざしが有効な病気の種類や範囲、限界の問題です。いわゆる「身体の病気」と「心の病気」はどうだろう、身体の方は怪我と病気、それらも重篤性によって限界もありうるだろう、などと考えています。

 「病貧争」の問題とは、手かざしは病気以外にも効くんじゃないか、いや、貧困や諍いなど経済問題や人間関係にも有効ではないだろうか、という問題です。これはどちらかというと否定的な答えになったと思います。「病貧争」という教えは、「神人の根源的関係における人間の活動は、必然的に三極面に分岐する」という滝沢さんの考えにフィットしました。三極面とは物質面(経済)、精神面(人間関係)、身体面です。(正確に言うと、滝沢さんは晴命教の教えから一部学んでこの三極を提起しています)

 三つに分極する、ということは、それぞれの局面はそれぞれ違った動き方をする(法則を持つ)ということです。だから、物質面で有効だからといって、それを他の面にそのままもってきてもダメだよ、ということです。今の場合、手かざしが病気に有効だからといって、何にでも、つまり経済生活(貧)や人間関係(争)にもそのまま効くなどと考えてはいけない、ということですね。闇雲にそう考えることは、それぞれの極面が持つ動き方(法則)にそっての対処に目を閉ざさせることにもなりかねない。そういう場合は危険だし、狂信ということになるでしょう。

 しかし、手かざしが貧困に、トラブルに、まったく効果がないのか、というと、理論的にはそうもいえない。なぜならば三極はもと根が同じだからです(「即」が生きているのですね)。手かざしによって「からだ」が整えられ、それが活力となって経済生活や人間関係にも良好な効果が期待できるということを否定はできないでしょう。しかし、理論的にはそういえる、ということで、その事を経験的に実証するのは大変だということになります。そんなことをするより、経済面、人間関係面に直接取り組んだ方が早い、というのがまず常識的なところではないでしょうか。滝沢さんの考えはそうだったと思います。もちろん、経験的実証を積み上げる事は意味のあることです。

 以上、病についても、病貧争、そこからの解放についても、滝沢さんですべて解決したなどという事はまったくありません。これは経験的にも理論的にももっと深められていかなければならない問題で、滝沢さんはそのとっかかりの理論的根拠を示したというところでしょう。滝沢さんは学者でしたし、今回取り上げた問題にたいする非難は普通の人以上に強く受けました。それでも、盲信せずに、自分の理論からそれを理解しようとした姿勢が貴重なのです。不定愁訴とか末期がん患者の問題で西洋医学の限界(その多大な(全面的ではなく!)有効性を否定する事は出来ません)が明らかになり、非西洋医学が見直されているいま、かれの仕事は今後注目を集めていくと思っています。シュタイナーさんも実践からの内省の一助に、ご一読を。
 
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