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体調悪く、最小限のことしかできない1週間でした。
戦時の滝沢、天皇論の滝沢、ぜひ、関心持っていただきたい。拙著の意味もいわば「インマヌエルの理論の滝沢」を破ろうとするものでした。神格化されすぎている。(いまも大いに不満)
この問題について私にいえることは、滝沢克己という人はわれわれ戦後生まれの考えるような人とは違う、ということです。大日本帝国憲法下でのエリートだったのです。勅語などすぐ覚えてしまう少年。『臣民』意識を心に刻んだ大人だったのです。(西田はじめ戦前の遵法的知識人がみなそうであったことを忘れないでおきたいですね)
もちろん、滝沢は戦後憲法下では「国民主権」に転換しました。そこに危うさを感じ、とくに自分の関わる教育行政に関して発言しつづけたことはこの間、語ってきました。また、象徴天皇制を受け容れました。しかし、かれが30代まで明治憲法下にいた事実をわすれてはなりません。
そういう滝沢を、いまの憲法に立って非難できるでしょうか。できないはずです。私たちだって現憲法によって教育され、意識的にそれに準拠してものを考えているからです。この憲法が変わって、それだけの理由で私たちが後の世代から非難されるとしたら、どうでしょう。
もちろん、だからといって歴史相対主義を肯定する訳ではありません。ただ、滝沢を、自分と同じ世代として読み、戦後の感覚からはみ出す部分(天皇論がその一例でしょう)は無視する、そういう形では読みきれない、といいたいのです。それでは滝沢に自分を読み込んでいるだけです。
わたし自身そういう読み方から離れるのにずいぶん苦労しました。問題は、人間が歴史的存在だということ、そのことを私たちがいとも簡単に忘却しがちだ、という点にあります。
いまでは滝沢が、戦後の日本国憲法下でも、ほとんどの知識人が放擲した国体概念をなお、顰蹙を買いながら、語りつづけたこと、そこにこそ意味(つまり自己イメージの投影ではない滝沢の姿)を汲み取るべきだと考えています。その上で肯定し、また否定すればいい。しかし、そういう苦しみがなければ、小生に関しては、以下で触れる佐藤優との出会いはありえなかったでしょう。
なお、滝沢の天皇論は『日本人の精神構造』(講談社、三一書房)にあります。来年春には、同名でなされた講演も出版される予定です。また、滝沢におけるバルト神学、マルクス、天皇論の関係については『バルトとマルクス』(三一書房)をあわせて読まれることをお勧めします。
なお、先日の「滝沢克己の思想圏研究会」での小生の発表「事件としての佐藤勝の出現」は、この三者つまり国家と神とマルクスの関係を滝沢に即して解明してみたものです。レジュメがありますのでご住所お知らせいただければお送りします。(添付でも)
佐藤優については、かれはまだ外務省の官僚です。時の政府に仕える人です。そういう政治的な現場にいる人であることを忘れないようにしてください。自由主義的保守主義者と自ら政治的立場を鮮明にしています。政治的信念をはっきり持っている人です。
佐藤の天皇論の理論的基礎に言及すれば、人間は超越を必要とすること、(国民)国家は神話(物語)を必要とすること、この二つがかれの天皇論の根底にあります。いま出典をすぐ出せないので申し訳ありませんが。
佐藤は国家と神とマルクスを結ぶ「メタ論理」をもとめています。その「メタ論理」がいま自分にはない、と告白しています。『国家と神とマルクス』のあとがき最終ページをご覧ください。上記小生の発表は「佐藤のもとめる「メタ論理」が滝沢の純粋神人学に具現されている」という佐藤への問題提起でした。明治に輸入された哲学、その日本的形態の一つの頂点がここにある、と言いたいわけです。
しかし、佐藤は自由主義を肯定します。滝沢はどうでしょう。自由はなにより尊重しましたが、自由主義には批判的でした。社会主義者ではなかったですが、社会主義の意義を語りました。佐藤のような頭脳の前で滝沢の政治的立ち位置が問われてくるわけです。ということで、また、以前の問いに戻りました。
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