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僕は今、滝沢克己著 「仏教とキリスト教」 法蔵館 を読んでいますが、教えてもらうことばかりです。その中から次に掲げる文で、滝沢が、仏教とキリスト教は同じ 根源 根柢 原点 から出発していると述べていらっしゃいますが、僕もこの見解は素晴らしいと思いました。
P152 それゆえに、人間をまずそれだけで孤立的に、「自主的・人格的」なものとして設定して、さてそこから「自然」に対し、「神」に対する人間の結びつきを考える、―― そういう通俗の考え方(「近代主義的ヒューマニズム」)をその根本から排除する点では、「真正のキリスト教は、鈴木・久松両博士のそれに対する批判にもかかわらず、むしろ両博士の禅とまったく同じ立場に立つものである。
真に実在する神人の根源的関係・まったく新しい真実の人の存在に眼ざめることなしには、他のすべての人と同じく「死んで葬られた」人間イエスの生涯をそっくりそのまま絶対の主体たる神自身の活動として見るということ、「ナザレのイエス」を「まことの神・まことの人」として言いあらわすことそのことが、そもそも不可能であるといってよいであろう。
滝沢が『「ナザレのイエス」を「まことの神・まことの人」』とおっしゃるときには、必ず彼の提唱された不可分、不可同、不可逆がその言葉の中に含まれています。
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