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差し上げます

 投稿者:ごろんぴー  投稿日:2008年 4月20日(日)12時22分20秒
  失礼します。趣味でHPを作っているものです。
主に本ですが、捨てるのはもったいないので、
欲しい方は無料で差し上げます。

http://www.geocities.jp/onkenkyu/zoutei.html

をご覧下さい。
(管理人様、発言不適切な場合、削除していただいて結構です)

http://www.geocities.jp/onkenkyu/

 

 資本主義は犯罪です 

 投稿者:真理  投稿日:2008年 3月15日(土)09時13分18秒
  資本主義は犯罪です 資本主義は犯罪です 資本主義は犯罪です
資本主義は犯罪です 資本主義は犯罪です 資本主義は犯罪です
資本主義は犯罪です 資本主義は犯罪です 資本主義は犯罪です
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資本主義は犯罪です 資本主義は犯罪です 資本主義は犯罪です
 

こんにちは

 投稿者:石井  投稿日:2008年 3月10日(月)16時46分39秒
   こんにちは。お久ぶりです。
北国の冬も、やっと春の日差しが差し込んで来る日々がきました。
 昨年、最後の書き込みが11月ですから4ヶ月ぶりですね。
この間、日本の政治経済の面で大きく変化がありましたね。世界的にもアメリカの大統領選の民主党代表のオバマかクリントンか連日、報道を賑わしています。

 わたしも、今年60歳になって、年金受給の権利を得ましたが、とても生活できる支給額ではありません。生涯、働かねばならないようです。
 滝沢先生の『「楢山節考」の魅力について』という作品を読みました。1958年の講演といいますから、ちょうど50年前になりますが、内容はぜんぜん古くない。「おりん」という老婆が70歳になって息子に姥捨て山の楢山に連れて行かれて静かに息を引き取る、この物語は滝沢のいう如く「人間には、誰にも限界があるのだ」という、あたり前の、しかし、なかなか意識することが難しい「人生の根本問題」を考えるヒントになります。

  滝沢克己教授の魅力を、あらためて感じる一冊でした。

http://gold.ap.teacup.com/kazuoisii123/

 

協会2月、3月日程

 投稿者:だんま  投稿日:2008年 2月 8日(金)13時30分0秒
  標記の件を掲示します。2月23日(土)、3月8日、15日、22日(土)です。

2月23日(土)第3回滝沢克己の思想圏研究会
     テーマ:滝沢からどんな社会を構想するか
     発 表:「滝沢とマルクス」前田保
     時 間:3時〜5時
     場 所:ルノアール小滝橋通り店(新宿) 03−3364−1618
     http://www.ginza-renoir.co.jp/myspace/index.htm

3月8日(土)九州支部セミナー
     発 表:「滝沢克己の「原点」の語をめぐって」坂口博
     時 間:2時〜
     場 所:福岡女学院天神サテライト
     http://www2.fukujo.ac.jp/university/open_chair/index.html
      ☆3月8日(土)です。お間違いなく。15日での通知を訂正します。

3月15日(土)第二回茶話会
     テーマ:近代日本の気骨ある知識人(その他)
     発 言:鈴木一典「河上肇」、前田保「滝沢克己」など
     時 間:午後(詳細別途)
     場 所:(文京区)アカデミー湯島(洋室)                        https://www.yoyaku.city.bunkyo.lg.jp/reselve/k_InfoShow.do

以下、関連行事として最首塾の日程を掲げます。メール情報をペーストします。

2月の最首塾定例
 テーマ:「最首さんと水俣・和光大学展ビデオを観る」
 日時:2月9日(土)、13時半開場、14時〜17時
 資料代:1000円(応相談)
 会場:不忍通りふれあい館(最寄:千代田線根津駅)
  http://www.city.bunkyo.lg.jp/sosiki_busyo_kumin_shisetsu_shinobazu.html
  住所 文京区根津2-20-7
  電話 03(3822)0040

3月の最首塾定例
 テーマ予定:「『ひろがる「水俣」の思い』を切り口に」
 話者:川本隆史さん、もう一名、現在交渉中
     (滝沢克己協会幹事の前田保さんに議論への参加をお願いしております)。
     *『ひろがる「水俣」の思い』を切り口にしますが、極力テキストなし
      でも議論に参加できるようにします。
 日時:3月22日(土)、13時半開場、14時〜17時
 資料代:1000円(応相談)
 会場:文京区民センター3-D号室
  *なかなか面白い会になりそうです。必見です!!

以上はペーストでした。上記の会、ふるってご参加ください。
問合せはメールにてお願いします。(思考センター企画部)
 

サイト管理人からご通知

 投稿者:だんま  投稿日:2007年11月30日(金)23時17分53秒
   管理人からお知らせです。

 サイトを管理するソフトにイレギュラーな動きが混じり、解消できない状態が続いています。

 この間、サイトのトップページを更新したくても阻まれてきました。

 明日は12月1日、「滝沢克己のことば」を書き換える日ですが、間に合いそうもありませんので事情をお伝えしておきます。
 

何故、今、滝沢か

 投稿者:石井  投稿日:2007年11月12日(月)20時21分16秒
   高校二年生のころ、近くの福音教会で教会員として集会に出席したとき、ビリー・グラハムの伝道集会の報道を新聞で読んで、教会の政治に対する姿勢に不信感をもち、二度と教会には行かなくなった。将来はキリスト教に生涯を捧げるつもりだったが、聖書を読まなくなって、40年の月日が流れた。
 滝沢との出会いは山本義隆氏との往復書簡が朝日ジャーナル誌に載ってからだが、ここ二三年、集中的に彼の著作を読み続けている。自分の恥じ多き人生の歩みを振り返って思うことは、「私の生きる理由は何か」ということであり、滝沢の言葉が、そのときにはわからなくても、フト、何かの機会に思い出される。
 今、「将棋の哲学」を読んでいる。生涯一人の著者の本を読み続けるということは、難しいかもしれないが、今のところ「滝沢」以外に心打たれる学者はいない。「人であること」の意味を日々考えている毎日である。

http://gold.ap.teacup.com/kazuoisii123/

 

ブログ開設しました!

 投稿者:石井  投稿日:2007年11月 4日(日)11時04分47秒
 ブログ開設しました。「滝沢克己研究会」というおおげさな名前をつけましたが、私の「研究ノート」みたいなものです。よろしかったら見てください。もちろんこのサロンにも書き込みは続けたいと思います。サイトはhttp://gold.ap.teacup.com/kazuoisii123/です。まだ一度も書き込み記事はありませんが、長く楽しく続けたいと思っています。今、滝沢の「西田哲学の根本問題」を読んでいますが、一日2pくらいしかすすみません。なんといってもあの西田哲学の難解な用語の意味を理解するだけでも、容易ではありません。「場所」という概念が何を指しているのか、やっと理解できつつあります。あの滝沢が寝食を忘れて没頭したくらいな問題が、そう簡単に理解できるわけもありませんが、滝沢のいう「原点」を正確に理解するためにも、骨身をおしんでは、いけませんね。協会のみなさんの、書き込みがありませんが、近況の報告でも知りたいですね。
 

大審問官の問い

 投稿者:石井  投稿日:2007年11月 1日(木)23時25分21秒
   今日は、「テロ特措法」の期限切れの日。下記の滝沢の言葉が思い出されました。

 ・・・かりにーアメリカ、ロシアの渇望に反して、現実には全く不可能なことだがかりにー一つの「超大国」が生き残ってそこに「世界国家」が実現したとしても、それはけっして、近代の致命的病巣が清掃・克服されたことを意味しない。・・・・・依然として不信と恐怖の支配する人間の世界、それが教会、国家そのほか何と名ずけらるにせよ、所詮はあの「大審問官」の君臨する、格子なき牢獄でしかないであろう。   「バルトとマルクス」129p


・・・・ その点でおまえは正しかった。なぜなら、人間存在の秘密というのは、たんに生きるということにあるだけではなくて、何のために生きるのかということにあるからだ。
何のために生きるのかというしっかりした考えがもてなければ、たとえまわりがパンの山であっても、人間は生きることをよしとせず、この地上に生き残るより、われ先に自滅の道を選ぶだろう。
                           「カラマーゾフの兄弟2」273p
 

滝沢克己の魅力

 投稿者:石井  投稿日:2007年10月25日(木)02時07分32秒
   最近、佐藤優の「日米開戦の真実」を購入しました。まだ、少ししか読んでませんが。

だんまさんの「思想のひろば」8号(1997年)所収「滝沢克己と昭和の精神」拝読しました。
滝沢克己の本を読み始めてから40年近くになりますが、最近やっと「一般概念と個物」の論文を精読して滝沢克己の魅力に改めて感心しています。だんまさんのいう知性の輝き、ですね。

また、「西田幾多郎」ー絶対無とは何かー(NHK出版)永井均著の「あとがき」に滝沢のことについて「西田哲学の根本問題」は、西田哲学をバルト神学と結びつけたこの本は難解だが名著である」と紹介していました。世間には滝沢を評価している人も、やはり、いるんですね。

西田、滝沢のいう「場所」とは何かーおぼろげながら理解しつつあります。
滝沢がすべてをなげうって探求した「真に自由なる個人」とこれを限定するものとしての「絶対無の場所」(一般概念と個物)が理解できるまで、まだまだ、わたしには時間がかかりますが、残された、わたしのすべての時間を費やしたいと思っています。

 寒くなりますが、だんまさん、お体を大切に・・・。
 

滝沢克己の魅力はどこに

 投稿者:だんま  投稿日:2007年10月21日(日)00時32分49秒
   滝沢克己の魅力は「戦前の知性の輝き」と「戦後の軌跡」にあると思います。

 「戦前の知性の輝き」というのは若くして西田・バルトと対峙したことです。これはすごい。「戦後の軌跡」というのは文部行政への批判、宗教との、またマルクス主義との対話、そして全共闘とのかかわりです。

 もちろん、「戦前の知性の輝き」といっただけでは、かれを偉人伝のなかに平板化することになるでしょう。その輝きが、後に「人間の原点」といわれた特異な一点に関わることを忘れることはできません。

 また「戦後の軌跡」とは、なによりまず、この原点の光が持続的に発せられたことです。そこに「ブレない滝沢」がいます。が、同時に、戦争の体験からその光の表現形式に反省が加えられていったことも逸することの出来ないことと考えます。

 わたしがいいたいのはこの二つ、つまり「ブレない滝沢」と「揺れる滝沢」がどこまでも相関的だということです。「往相・還相」といった理由です。

 このことはいわゆる「ハイデッガー問題」を想起するとき明瞭です。「偉大な言葉」がナチスへのコミットの中で表現されたことで問題となり続けているからです。(もっともわたしの知るのは間接的なヨーロッパ、それも主にフランスとドイツ、および日本の事情だけですが)

 ところで、相関性を原点のほうから言えば、原点は滝沢をして権力と対峙せしめ、自己を絶対化する「宗教」、また宗教を否定して人間を絶対化する「社会理論や運動」と対話せしめ、これらを解体し、さらに学生や市民といった小さきものに結び付けたといえるでしょう。(この辺はもっと慎重に詳細に語らなければいけませんが)

 それは、律法主義とたたかったイエスの宗教、また、カースト制度や部族主義とたたかったブッダやムハンマドの宗教に通じるといったら、世界宗教を冒涜することになるでしょうか。

 滝沢の側からも「わたしをそんなに持ち上げるな」と抗議の声が出ることでしょう。

 しかし、滝沢が一貫して言っていたのは、わたしたちひとりひとりが、聖書のイエスのように直接原点の光を生きることができる、ということではなかったでしょうか。そこでは、誰も見捨てられていないし、見捨ててはならない、と。

 わたしはここに、「こころある人」「こころある知識人」「こころある日本人」をみたいと思います。「品格」という言葉で問題になっているのはこの「こころ」でしょう。もっといえば「原点の光」だと思います。

 国策捜査が荒れ狂い、デリバテイブやサブプライムローンといった資本主義の無政府性が世界を襲い、テロとの戦争と言っている米国大統領から第三次世界大戦のことばが発せられ、地球の滅亡が日程に上る現在こそ、滝沢的なものが要請されるのではないかと思いますが、かれの魅力を語って自己満足している場合ではないはずです。

 こうした立場から次は「未来の滝沢」を考えてみたいと思います。
 

お知らせ

 投稿者:だんま  投稿日:2007年10月18日(木)01時01分50秒
   いつも本会のホームページにアクセスいただき、ありがとうございます。

 今年中に「掲示板 for mania」と「本部日誌Blog」を閉鎖することにいたします。

 焦点が定まらないとのご指摘もいただきましたので、一度整理します。

 今後はしばらくこの掲示板だけで行くことになります。
 変わらずアクセスくださいますようお願いいたします。
 

レジュメのお礼

 投稿者:石井  投稿日:2007年10月14日(日)10時11分54秒
   だんまさん、レジュメの送付、ありがとうございます。
また、わたしの住所、メールアドレス消去お願いします。

 佐藤優の滝沢観、いろんな意味で勉強になりますね。そういえば、八木誠一という人が、昔、滝沢と論争していましたが、その後、どうしているのでしょうか。八木が何をいっていたか、もう忘れましたが・・・。
 1981年(いまから約30年前)の滝沢の「バルトとマルクス」が問いかけているものが戦後世代の私たちに、切実に感じられるのは、やはり「ソ連邦の崩壊」という大きな歴史的体験を経験したからでしょう。その意味でも今後の佐藤の活動からは、目がはなせませんね。

 貴重なレジュメ、本当に、ありがとうございました。このレジュメの読後感を「バルトとマルクス」、もう少し読み込んでから、お話したいと思います。
 

「滝沢」への言及

 投稿者:だんま  投稿日:2007年10月13日(土)23時18分48秒
   佐藤優氏の滝沢への言及は、少ないですがあります。これはレジュメが遅れているために出たご質問で、申し訳なく思います。『獄中記』に二箇所あります。もうしばらくお待ちください。

 滝沢を宗教哲学者とか神学者としてだけ読むな、というわたしの不満に耳傾けていただきうれしく思います。なかなか一筋縄ではいかない思想家ですので、他者としての滝沢と呼んでみた次第。

 晩年の動向を見ると、やはりかれはどうしても「貨幣とキリスト」、つまり、いかにして物神化、偶像化から解放されるか、また、天皇とはどういう存在か、が言いたかったのでしょう。そこを見てあげないと、という思いがします。

 もちろん、それを汲んだ上で、それをとるかとらないかは私たちの判断です。しかし、それを汲もうという意欲さえない。それが不満で書いた次第。お互い研鑚をつみましょう。
 

互いの比喩としての貨幣と「キリスト」

 投稿者:石井  投稿日:2007年10月13日(土)13時12分5秒
   日、一日と寒くなってきましたが、みなさん、お元気ですか。

 「バルトとマルクス」先日、配達されましたので、さっそく、だんまさんの、「互いの比喩としての貨幣と「キリスト」を通読しました。
 経済学など、ほとんど本格的に学んだことなどもない、わたしですが、貨幣(お金)とキリスト、」とどういう関係にあるのか、疑問に思いながら一気に読み終えました。
 まだ、わたしの頭の中で、混乱して、まとめるのにしばらくかかりそうですが三回ほど読み直して感じることは、もし、滝沢克己協会の、この伝言板が、なかったら滝沢の思想を深く考え、論じることなど、なかったであろうことを思うと、協会の皆さん、管理者の方の存在のありがたさに感謝したいと思います。いつまでも、この伝言板を続けてください。

 そして、だんまさんに、お尋ねしますが、佐藤優の著書を読むにつけ、あれだけインテリジェンスをもっている佐藤が、滝沢克己に関する言及が皆無である(もしかしたら、どこかにあるのかもしれませんが)ということは、どう理解したら、いいのでしょうか。カール・バルト、カールマルクスを勉強している佐藤が滝沢の名前を知らないとは思えないのですが・・・・。
 

罪と罰

 投稿者:石井  投稿日:2007年10月11日(木)07時09分37秒
   先日、テレビで鹿児島県議の選挙違反捏造捜査事件再現ドラマを見、今日、新聞で富山県の冤罪事件の報道を読み、無実の国民が、ある日、関係ない事件で逮捕され、有罪となる、ということが、現実に行われているということに、恐怖を覚え、佐藤優氏の「国策逮捕」が、現実見を帯びて感じられました。

 また、いま「満州帝国」の歴史を読みながら、つくずく、国家権力の恐ろしさに想いを深めていますが、いよいよ、滝澤が国体を論じ、若き学徒を戦場に送った国側の人間として考えると、また違った意味で「人間の罪と罰」に想いいたります。カール・バルトが東洋から来た若き秀才滝澤に見た、「危うさ」は、そのまま「滝澤神学」に潜んでいるのではないか。

 滝澤を学ぶということは、「滝澤の生きざまと主張が、どこまで聖書のイエスと同じで、どこが違うのか、」という論証をすることであり、後学に学ぶ者の責任と義務かと、思います。

 昨日のテレビの「国会中継」で首相自らが、自分の後援会に国の補助金を受けている企業からの献金を認めながらも、「わたしは知らなかった」とひらき直る総理大臣に、あいた口が、ふさがらない想いです。「返せばいい」というものではないでしょう。責任を取るということは辞職するということでしょう。

 「満州事変」「上海事変」など軍部で画策され隠蔽された侵略戦争は、こうした政党政治のトップが、ほんとうに国を愛して、国民の幸せを考えていれば防げたのではと疑問になります。しかし、当時の(満州帝国創設時)の国民が、こうした軍部の独走を、歓迎していたという事実もあります。

 ほんとうに国を愛するとは、時代の流れに抗して生きるということなのでしょうか。ここに、またイエスの生きざまがイメージされてきます。

 だんまさん、またこのブログを読まれている皆さん、霊界で生きておられる滝澤先生の、あの、やさしい笑顔を思い出しながら、日々、精一杯、生きていきましょう。
 

歴史ということ・補遺2(他者としての滝沢克己)

 投稿者:だんま  投稿日:2007年10月10日(水)21時52分53秒
   Iさま、では、レジュメ送らせていただきます。日曜日までに。注を整えますので。また、体調、回復しつつあります。励まし、ありがとうございます。

 さて、前の書き込みで「神格化」という言葉を使いましたが、ちょっとずれた感じがしますので、ひとことしたいと思います。

「神格化」というより、いわば「わたしの滝沢」の横行と言ったほうがいいでしょうか。わかる範囲で滝沢を分かってしまい、滝沢のもっている異様な側面(?)には目をつむる。そういう態度で滝沢を論じ、また非難することです。

 もちろん読み方は自由です。しかし、滝沢を学的に論じる場合にもそういう態度が目立つのには大いに不満だと言うことです。たとえば、ほんの一例ですが、青野氏の「滝沢」の使い方など(『思想のひろば』18号、拙書評参照)。

 早い話が、「互いの比喩としての貨幣とキリスト」といった、晩年、かなり滝沢が気に入ったと思われる思想について触れたものは皆無。天皇論も然りです。みんな知らんぷり。いまだに「インマヌエル第一義、第二義」だけでやっている体たらくです。

 というわけで、わたしは「揺れる滝沢」に次いでいま、「他者としての滝沢」ということを提起したい気持ちです。滝沢は戦後思想の地平をくぐって、そこからはみ出す思想家だといってみましょうか。それ(こ)をこそ肯定、または、否定しなければならない、と。

 佐藤優の論壇への登場は、「他者としての滝沢」に注目をあてさせる、われわれにとって一つの僥倖であったように思われます。また、そうしなければいけないように思います。

 なお、佐藤が注目されるのは、その論が、戦後日本思想の根本問題(実存と社会、資本主義と社会主義)を、そしてそれのみならずさらに、近代日本思想の根本問題(近代化と天皇)をカバーする「大きな思想」だからです。時代に誠実に対峙してきた滝沢にそれら問題との格闘の跡があるからこそ、両者に共振がおきているのだと思います。
 

歴史ということ・補遺

 投稿者:だんま  投稿日:2007年10月 8日(月)21時53分11秒
   なぜ、当協会にとって、佐藤優の出現が「事件」なのか、ひとこと補います。

 佐藤は「二人のカール」を大切にしています。思想界にそういう人を小生は知りません。ただひとり、『バルトとマルクス』を書いた滝沢を除いては。

 佐藤は「国家(天皇制度)と神とマルクス」を結ぶ「メタ論理」をもとめています。これまた他に人を知りません。ただひとり、『バルトとマルクス』とともに『日本人の精神構造』を書き、最後に「純粋神人学」に至った滝沢を除いては。

 佐藤の登場は滝沢の再来と思われるのです。ただ、佐藤はまだ件の「メタ論理」をもっていない。告白のとおりです。だとすると滝沢最盛期の思想が俄然意味をもってくる次第です。

 佐藤と滝沢、その他様々共通点がありますが、その本質的な関心における上記の共通性は特筆すべきでしょう。その差異とともに、佐藤の出現が協会にとって事件である所以です。

 (佐藤については「掲示板 for mania」にも以前書き込みました。上記はその後の学習を含めての見解です。なお、当該掲示板は遠からずいったん閉鎖する予定です。)
 

歴史ということ

 投稿者:だんま  投稿日:2007年10月 8日(月)07時29分54秒
   体調悪く、最小限のことしかできない1週間でした。

 戦時の滝沢、天皇論の滝沢、ぜひ、関心持っていただきたい。拙著の意味もいわば「インマヌエルの理論の滝沢」を破ろうとするものでした。神格化されすぎている。(いまも大いに不満)

 この問題について私にいえることは、滝沢克己という人はわれわれ戦後生まれの考えるような人とは違う、ということです。大日本帝国憲法下でのエリートだったのです。勅語などすぐ覚えてしまう少年。『臣民』意識を心に刻んだ大人だったのです。(西田はじめ戦前の遵法的知識人がみなそうであったことを忘れないでおきたいですね)

 もちろん、滝沢は戦後憲法下では「国民主権」に転換しました。そこに危うさを感じ、とくに自分の関わる教育行政に関して発言しつづけたことはこの間、語ってきました。また、象徴天皇制を受け容れました。しかし、かれが30代まで明治憲法下にいた事実をわすれてはなりません。

 そういう滝沢を、いまの憲法に立って非難できるでしょうか。できないはずです。私たちだって現憲法によって教育され、意識的にそれに準拠してものを考えているからです。この憲法が変わって、それだけの理由で私たちが後の世代から非難されるとしたら、どうでしょう。

 もちろん、だからといって歴史相対主義を肯定する訳ではありません。ただ、滝沢を、自分と同じ世代として読み、戦後の感覚からはみ出す部分(天皇論がその一例でしょう)は無視する、そういう形では読みきれない、といいたいのです。それでは滝沢に自分を読み込んでいるだけです。

 わたし自身そういう読み方から離れるのにずいぶん苦労しました。問題は、人間が歴史的存在だということ、そのことを私たちがいとも簡単に忘却しがちだ、という点にあります。

 いまでは滝沢が、戦後の日本国憲法下でも、ほとんどの知識人が放擲した国体概念をなお、顰蹙を買いながら、語りつづけたこと、そこにこそ意味(つまり自己イメージの投影ではない滝沢の姿)を汲み取るべきだと考えています。その上で肯定し、また否定すればいい。しかし、そういう苦しみがなければ、小生に関しては、以下で触れる佐藤優との出会いはありえなかったでしょう。

 なお、滝沢の天皇論は『日本人の精神構造』(講談社、三一書房)にあります。来年春には、同名でなされた講演も出版される予定です。また、滝沢におけるバルト神学、マルクス、天皇論の関係については『バルトとマルクス』(三一書房)をあわせて読まれることをお勧めします。

 なお、先日の「滝沢克己の思想圏研究会」での小生の発表「事件としての佐藤勝の出現」は、この三者つまり国家と神とマルクスの関係を滝沢に即して解明してみたものです。レジュメがありますのでご住所お知らせいただければお送りします。(添付でも)

 佐藤優については、かれはまだ外務省の官僚です。時の政府に仕える人です。そういう政治的な現場にいる人であることを忘れないようにしてください。自由主義的保守主義者と自ら政治的立場を鮮明にしています。政治的信念をはっきり持っている人です。

 佐藤の天皇論の理論的基礎に言及すれば、人間は超越を必要とすること、(国民)国家は神話(物語)を必要とすること、この二つがかれの天皇論の根底にあります。いま出典をすぐ出せないので申し訳ありませんが。

 佐藤は国家と神とマルクスを結ぶ「メタ論理」をもとめています。その「メタ論理」がいま自分にはない、と告白しています。『国家と神とマルクス』のあとがき最終ページをご覧ください。上記小生の発表は「佐藤のもとめる「メタ論理」が滝沢の純粋神人学に具現されている」という佐藤への問題提起でした。明治に輸入された哲学、その日本的形態の一つの頂点がここにある、と言いたいわけです。

 しかし、佐藤は自由主義を肯定します。滝沢はどうでしょう。自由はなにより尊重しましたが、自由主義には批判的でした。社会主義者ではなかったですが、社会主義の意義を語りました。佐藤のような頭脳の前で滝沢の政治的立ち位置が問われてくるわけです。ということで、また、以前の問いに戻りました。
 

国家と神とマルクス

 投稿者:石井  投稿日:2007年10月 2日(火)20時31分54秒
   題名の本、以前読みかけていましたが、ここ二、三日、改めて読み直しました。
特に、今「満州開拓団の歴史」を追いかけているので、とても参考になります。
 以前、だんまさんが、佐藤優の本を、取り上げて論評して、おられましたが、わたしより12歳も年下の佐藤優の「国体論」、滝沢との関連で興味深く読んでいます。

 131pの「日本の歴史を日本人の手に取り戻すために」は、滝沢哲学・神学を学ぶ上でも、大切な指摘であると思います。特に144pの

 「大日本者神国也」というテーゼで表される我々の国・日本では、権力と権威が一緒にならないという国体が保全されてきたし、いまも保全されているし、未来においても保全されていくのです。」これは、もう信仰に近い表明だと、思うのですけど・・・・・。
 

戦時下の滝沢克己 (2)

 投稿者:石井  投稿日:2007年 9月30日(日)14時53分5秒
   パソコン操作のまちがいで、途中で切れました。すみません。

 「の原点と天皇の存在が、、滝沢において、どうしてストレートに結ばれるのか、理解できません。わたしの勉強不足なのかもしれませんが・・・、どなたか、ご教示ください。
 

戦時下の滝沢克己

 投稿者:石井  投稿日:2007年 9月30日(日)09時25分47秒
  「滝沢克己 存在の宇宙」 小林孝吉著、の96p「戦時下の滝沢克己」を読みました。「神の言葉人の言葉」が品切れになっているので、詳しいことはわかりませんが、読後の感想は「青年滝沢がカール・バルトに学んだインマヌエル  

戦地の滝沢

 投稿者:石井  投稿日:2007年 9月28日(金)22時02分36秒
   「
「滝沢克己」−前田保著 を読んでいます。

戦前、戦中、戦後の滝沢の姿を擬視することによって、よりいっそう滝沢の主張が、はっきりでき

ると思います。山本七平の「現人神の創作者たち」という本も、おもしろそうですね。

もし、滝沢が満州に出兵して戦地体験をしていたら、彼の「哲学・神学」は、変わっていたでしょ

うか。

 ミャンマーの国民」デモ、取材中の日本人カメラマンが射殺されましたが、アメリカの高官が軍

事政府に非難していましたが、自分たちがしているイラク攻撃で多くイラク市民が犠牲になってい

るということには一言も触れません。

 「戦争とは、所詮ケンカである」(「思想のひろば」6p)昭和16年の滝沢の講義中の言葉。

大人が国を挙げて「ケンカ」をしている時代に子供に「仲良くしろ」と言っても、効き目はゼロ。

「美しい国日本」の総理大臣が「アベ」してしまったあと、政局は、どうなるのか心配です。

 「戦地の滝沢」をイメージして小説を書こうと思っています。だんまさん、読んでいただけます

 か。
 

「十字架の神学」

 投稿者:石井  投稿日:2007年 9月27日(木)21時10分49秒
  「思想のひろば」18号の青野太潮氏の「新薬聖書学から見た滝沢神学」を読んでいて「イエスの

十字架の死によって、血のあがないによって、初めて救いが完成したのだ」という正統信仰の呪縛

から、解放されました。また、「死後の生命」つまり「永遠の生命の実在」も確信することが、で

きました。ありがとうございます。

  もう一度、最初から「聖書」を読み直したいと思います。
 

揺れる滝沢と日本哲学の可能性

 投稿者:だんま  投稿日:2007年 9月27日(木)00時58分27秒
   わからんわからんから始まって、石井さん、Kさんに導かれて、なんかそれなりのところに落ち着いた感じです。私のKさんへの異議は往相・還相という言葉を使うと分かり易いかとも思います。

 私から見ればKさんの滝沢理解は往相に拠っている。対して私は「往・還」折り返しの全体に拠っている。その折り返しに歴史の現実が関わるから、必ずしも論理必然的ではない。だから揺れる。ただ、Kさんも私もどちらも往相の視点は共有している。

 この風景を歴史的文脈でみてみます。滝沢は戦後、左翼、過激派などと自身が特定の「主義者」と見られたり、「主義者」の支援者と見られるということを知りながら、それを回避しなかった、コミットした。その点を私は強調しました。

 ところがその事態を「滝沢はいつも「ただの人」だったのであって、〜主義者を否定した」と言ってしまうと、戦後の滝沢の肝心要が抜け落ちちゃう。というのも、そう言う限りでは、ある思想や流れにコミットしながら「自分は主義者ではない、むしろ主義者を批判している」と言い逃れることができる。これが二枚舌の無責任です。じつは西田哲学にはそういうところがあった。

 私は、滝沢の西田批判は、そういう西田哲学のあり方そのものへの批判だったと思うのです。戦時中、滝沢は自身、主義の総批判をしながら(創言社『神のことば 人の言葉』所収「神風」という論文をお読みください)、現実には大日本帝国の日常を支え、学生を戦場に送り出し、結局、国民を破局に追い込んでしまった。それは西田哲学の戯画だったのです。西田哲学は、あるいは「わしの立場はどの立場にもコミットしておらん、むしろ批判していた」と言うことができたのかもしれません。

 先鋭な知識人のひとりとして滝沢は猛烈に反省したと思います。滝沢は西田亡き戦後、責任のある世代となり、西田哲学の問題性を内から克服していこうとし、同時に現実へのコミットを意識的にしたのだと考えます。つまりコミットはかれの思考の帰結だったのです。

 そして西田哲学とは滝沢にとって哲学そのものでしたから、西田哲学への批判は哲学そのものへの批判だったと考えなければなりません。いま、田辺元の西田哲学批判は措きますが、日本初の独創的哲学と称された西田哲学の現場で起きたこととして、滝沢の批判と戦後のあり方は、日本哲学の可能性に関わります。滝沢の言説とともに戦後のコミットを尊いと私がいう理由です。

 西田哲学の問題性、滝沢の批判、そして件の可能性を云々するのはまた別の機会になります。ただ、その可能性が、二十世紀後半の形而上学批判や反哲学、また、応用倫理学の勃興などに通うものと愚考します。「生きている滝沢」をそこに見たいとつよく念じます。(私は滝沢さんを哲学者とみています)
 

訂正など

 投稿者:だんま  投稿日:2007年 9月26日(水)03時24分11秒
   前の書き込み誤字がありましたが、ここで「末木文美士」さんのお名前だけ訂正いたします。

 また、この前の文にはちょっと飛躍があった点、補います。ひとつは、西田の無の哲学と滝沢を区別せずに論じた点ですが、戦前の滝沢さん(以下、滝沢)は、西田哲学への批判にもかかわらず、戦争についてはほぼ西田と同じ態度に終始したと考えるからです。「アジア解放の聖戦」という主張です。帝国主義的侵略となってはいけないという主張に伴われています。滝沢は当時、西田とはちがって、まだ新任の地方教員でしたから、西田と同列には置けませんが、考え方や学問に対する態度は西田に従っていたと思います。それで同一視した形になりました。

 もうひとつ、滝沢の「民主的…」論文を、当然のように自由主義社会批判と読みましたが、民主主義は社会主義からも主張されたのであって、かならずしも直ちに自由主義と結びつくわけではありません。が、滝沢の論は「個を元に立つ社会」の批判ですので、自由主義的民主社会の問題点をえぐったものと考えられます。(この辺、滝沢にあまり区別の意識がないように思います。また、民主的社会を自由主義社会と読み替えると、先日の研究会でのSさんの発表における、リベラル・コミュニタリアン論争と関連付けて滝沢思想の一面を解明するよすがともなります)

 ところで、滝沢が論文で批判した「逆コース」のような傾向は、特に道徳教育をめぐって最近にいたるまで国家からの教育介入として繰り返し現れたものと考えます。戦後の滝沢は、戦前の反省を踏まえて、国家の教育政策には積極的に発言しました。当然、「国家権力の暴力性」を十分意識してのことだったと思います。しかし他方、マルクス主義者に付和雷同はしなかった。国家権力の暴力性を声高に言い、国家を廃止しなければならない、また、しうると考えたことが社会主義国家の失敗につながったという逆説。柄谷行人が説いていますが、滝沢はマルクス主義全盛期にそういう認識に達していた。「国家は死滅しない」と言い切っていました。国家も人間が形成しているもの(人間の原点から生じて来るもの)で、必要以上に大きなものと捕らえるとかえって誤るということをよく知っていたのだと思います。

 最近の道徳教科化案にいたるまで、基本的には昔の滝沢さんの批判は有効と考えます。この関連で、わたしは K さんのような原理主義的な考え方はとりません。Kさんの仰るのは「エバンゲリスト」と書いてわたしが言おうとしたことです。それは宗教なり超越の立場に安住する人からの規定でしょう。そういう風にだけ滝沢を見ることを否みたい思いがあります。(滝沢の西田批判の核心(形而上学!)もそこにあると愚考します)

 それで済むなら、滝沢も自己チュウ思想家、つまり、自分の立場が他者にどう捕らえられるか、自分の言葉や思想が政治的にはどういう機能をしてしまうのかの問題意識がない人、あっても見て見ぬふりをする人ということになるでしょう。思想空間の中だけで「主義者狩り」をしていればいい。

 戦後の一貫した教育行政批判、つまり決意した国家への対峙や、ベトナム反戦の主張、全共闘とその後の裁判へのコミットを思うとき、私には到底そんな簡単に、いや、きれいに片付く問題ではないと思われます。外部へと揺れる滝沢がいた、とみたいですね。その揺れを確かに…主義者とは呼べないですし、滝沢さんの意識に内在してもそういう自己規定などなかったはずです。それはわかります。それでも滝沢さんはちゃんと決断はしている。(たとえば)ベトナム反戦とはっきり言いましたよ。そこが尊いので、それを「「…主義者」を根源的に否定している」などと言い切ってしまうと、滝沢の持っているポジティブというか、アクティブな面が消されちゃうんじゃないかと思います。いかがでしょうか。

 まあ、滝沢という人は「哲学者、神学者、学者」で、時の政府の政策にはしばしば批判的だった、でいいのです。自覚的に特定の政治思想を選択した訳ではないと思いますから。そこには庶民の智恵も感じます。しかし、自分があくまでそういう外部(政治・政治思想)から問われうる一つの思想・立場である(にすぎない)ことをかれは認識していたし、そこでもなお自己を意識し、場合によっては現実の一つの立場に積極的コミットを辞さなかった。戦後の滝沢のそこが尊いと考える次第です。(長くなってすいませんが)
 

ただの人として生きること

 投稿者:K  投稿日:2007年 9月25日(火)23時51分33秒
   人は、ある特定の時代と社会を生きた思想家などに、「…主義者」というような範疇をあてはめて考えようとします。そうすると、滝沢克己は、戦時下では、「インマヌエルの原点」に立ちつつも、当時の一部の言動から「戦争協力者」と見たり、戦後は『現代への哲学的思惟』やマルクスについての論述に見るように、「社会主義者」とみなしたり、また『日本人の精神構造』のように、日本文化の中心の座としての天皇制を認める「天皇主義者」にしたり……。
 また、大学闘争への関わりや、その心情的傾斜によって、新左翼とつながる「マルクス主義者」として規定したりする人もいます。であるならば、バルトによってキリスト教の原理的可能性を知った滝沢は、「キリスト教正統主義者」となり、また戦後仏教とキリスト教の共通点と、その一点からのみ見える相違点を問題にした『仏教とキリスト教』『「歎異抄」と現代』などから「仏教」を、さらには晩年の晴明教の教義と具体的行為への深い関心から、「新興宗教」を信じる宗教哲学者と、そのようにもきめつけることもできるでしょう。
 ところが、そのことをもっとも根底的に否定し、どこまでも一人の人、ただの人として生きることに徹したのが滝沢克己ではないでしょうか。あらゆる学問、宗教、思想、イデオロギーを超えて、一人の人としてこの世に成り立った瞬間において、歴史・未来的にその人を限定する大いなる決定、原意志(=自由)によって、「…主義者」となりことを根源的に否定されているのではないでしょうか。
 

「心のノート」の意味するもの

 投稿者:石井  投稿日:2007年 9月24日(月)15時22分5秒
   「だんまさん」の久々の書き込み、興味深く拝見しました。私は「滝沢さんの政治的立場」を定義ずけるには、まだまだ勉強不足ですので、身近な問題として、小中学生用の「道徳テキスト」「心のノート」問題の重要性を取り上げたいと思います。きっかけは高橋哲哉の「心の戦争」という著書を読んで今の小中学生に「愛国心」教育を押しつけるような授業が、現実に学校現場で行われている、ということにショックを受けました。萱野稔人の「国家とはなにか」の中の「国家はひとつの運動である。暴力にかかわる運動である、(6p)という概念にしたがえば日本という国家が国民の政治・社会に対する批判的運動、言動を小中学校教育の段階で「心の問題」にすりかえさせ「国を愛する」という甘い言葉で「国策に従順な国民の育成」を目指しているのは、」明らかです。今わたしは「満州開拓物語」というのを読んでいますが、当時、「理想的な新国家建設」をスローガンに多くの青少年が「満蒙開拓青年義友軍」として組織的に戦地に送り込まれ、終戦時、見捨てられたか、改めて「国家権力の暴力性」を感じました。私の父も昭和18年、志願兵として満州に渡りました。
 「国家の暴力性に、どう立ち向かうのか」・・・。滝沢克己の戦争体験をさらに、研究したいと考えています。
 

滝沢さんの政治的立場?

 投稿者:だんま  投稿日:2007年 9月23日(日)18時16分23秒
   標記の件を考えてます。起訴猶予外交官の佐藤優は「二人のカール」を大切にし、国家と神とマルクスを結ぶメタ論理をもとめていて、滝沢さんの再来!と思わされますが、一方、「自由主義的保守主義者」を鮮明にしています。そこで滝沢さんのことが思い出される次第です。

 滝沢さんは天皇の意義を認めたのだから保守主義的だったのでしょう、が、自由主義者とはいえない。社会主義の意義を歴史的に認めたのだから非自由主義者だったのでしょうが、社会主義者だったかというと、そうも言い切れない。暴力革命を一概に支持しなかったし社会主義建設の困難も分かっていた。分類上は「第三の道派」だったのか。しかし、ここにも落ち着かないのでは…。政治学者・塩川伸明の正当に指摘するように「冷戦後責任」は滝沢に問われうるのか。

 今のわたしには手に余る問題です。考えれば考えるほどわからない。で、方向を変えて、このわからなさは何なんだ、と問うてみる。そうすると「無の哲学」の〔政治的)わからなさに思い至る。非連続の連続とは場所の論理で、究極の場所は絶対無の場所でしょう。それは「立場なき立場」だとも言われていたように思います。いまでも西田を非難する人は、そこに政治的マヌーバーをみる。端的にいって無責任。二枚舌(末木文未士)とも揶揄される。それを「体制内反体制派」(大橋良介)という人もある。

 非政治的人間? 宗教的人間? エヴァンゲリスト? 学者? 等々と言い換えてみても、その政治的含意は、という問いからは免れない。こまった。

 ただひとつ、滝沢さんの「民主的社会における上下関係」は忘れがたいものと思い出します。58年の古い論文ですが、自由主義社会批判として貴重です。早い話が、親殺し、子殺しへといたる民主社会の危険への警鐘だったわけです。

 この問題、最近では村上陽一郎が自由主義における「他者危害回避原則」は規矩にならない、といって「寛容」を説いているのにつながります。「他人に迷惑をかけないければ何をしても自由、愚行権も認める」という自由主義社会の掟は、「他者」というものが本当に生きている人にのみ言える。「他者の迷惑」をそれと認めないひと、それを「おまえが悪いんだろ」というひと、つまり、「自己チュウ」の人には当該原則は何も意味しない。(イエが壊れて自己チュウが再生産されてる。幼児虐待やうつ病などは深刻な土壌をもっているのではないでしょうか)

 そして、そんな自由主義社会の中で「平等」を植え付けられた子供たちは親も先生も老人もホームレスも「平等」と思っている。平等ならオレにも権利があると。「民主的社会における上下関係」の基準をどこにおくのか、滝沢の論文にあるように「逆コース」では駄目。すると大問題なわけです。

 というわけで、滝沢さんの自由主義批判はいまでも、いや、いまこそ省みられるべきでしょう。ただ、具体的には、小生は、小中学校の校庭を芝生にせよ、と訴えています。環境問題からというよりは、子供たちの身体に注目するからです。外遊びを回復せよ、と。子供から遊びを奪ってきたのは誰だ、と。他者に触れる機械を与えよ、と。
 

吉本の「浄霊」体験

 投稿者:石井  投稿日:2007年 9月22日(土)09時58分16秒
    先日の書き込み、安倍晋三を安倍晋太郎と書きました。訂正します。
あるブログで「共同幻想論」の吉本が「浄霊」を受けて聖書のイエスキリストの奇跡(病人癒し)が、信じられるようになったと、告白しています。滝沢も自らの浄霊体験を通じて、今までの理論(神学・哲学)を問い直しせざるを得ませんでした。西田・バルトを越えて、滝沢が訴えた「神・人学」が今後ますます、注目をあびるでしょう。
 最近、やたらと家庭内殺人が多いと思いませんか。ドフトエフスキ一の「カラマフゾフの兄弟」の世界が現実になったのでしょうか。わたしも身近な問題で25年まえに離別した息子・娘と連絡が取れませんが、親子というのは簡単に縁が切れるのでしょうか。
 

個と共同体」

 投稿者:石井  投稿日:2007年 9月18日(火)21時38分4秒
   安倍晋太郎氏の総理大臣辞意を受けて連日、テレビ、新聞が次期総理の報道で喧しいこのごろですが、私の母が施設に入所したので、これから念願の読書三昧の生活に入れます。

 早速、読みたかった「将棋の哲学」を読みました。特にその中で「個人と共同体」と題した論文を読み、難解な吉本隆明の「共同幻想論」を思い出し田川建三の「思想の危険について」を読んでいて34pに「・・・すぐれた思想的質を持ちながらそういう悲劇をたどった一例として滝沢克己という人をあげることができる。という箇所を読み、この「田川建三」という男は滝沢克己をまるっきり理解できていない男だと想いました。
 

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