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「会報」第42号のダレクトメールの件について

 投稿者:てつ  投稿日:2005年 9月10日(土)11時37分55秒
   「不快な思い」(創言社・坂口博(さん)と「個人情報とは何か?」( 石井一男さん)を読み、考えさせられてしまいました。私たちは、無意識のうちに生きることの疑問を解く熱意を、外部から規制させられているかもしれない、そう思いました。
 実は、弓立社への会員名簿へのDMの件に関して、事実をお知らせしたいと思いまして、書き込みをしました。実は、次のような文面を8月23日(火)、書留で「滝沢克巳協会・事務局長 村上巌様」に送りました。

「滝沢克巳協会・事務局長
       村上 巌 様
             ┌─────────────────────────┐
             │「弓立社からのダイレクトメール送付の件と          │
             │   会員名簿取り扱いについてのお願い」について     │
             └─────────────────────────┘

 「滝沢克己協会報 第42号」(2005/8)を会員として、受け取りました。その中で、4頁にある「弓立社からのダイレクトメール送付の件と会員名簿取り扱いについてのお願い」について、報告したいことがありますので、お知らせ致します。
 文章中、「会員のご氏名・御住所が業者に無断で知られていたことは、事務局の全く関知していなかった」とありますが、同封した書類(コピー【省略】)の通り、協会事務局の許可は取ってあります。
 確か平成11年、弓立社の方から個人的に私が相談を受け(メール)、私一存では決めることではないので、協会宛に書面でその間の事情をお知らせし、ご許可できるかどうか伺いました。協会では、「幹事会」を開いて頂き、ご「了承がと」れたということで、「新しい住所録を」わざわざ送ってくれました。その「新しい住所録を」、私から「弓立社へ渡し」ました(郵送)。ですから、「事務局の全く関知していなかった」ことではなく、事務局から許可を頂いてのことです。
 文章中、「弓立社に対しては、その後電子メールにて、当協会の名簿に基づくデータの破棄と今後の送付の停止を通知いたしました。」とありますが、弓立社にとっては寝耳に水だったと思います。キチンとした手続きを取って、会員に出版案内を送付したにもかかわらず、「データの破棄と今後の送付の停止を通知」された訳ですから。

 以上の通りです。この件に関するご回答をお待ちしております。」

 弓立社への会員名簿送付に関しては、協会の許可を取ってあった、ということです。

 個人的には、いろいろの情報が来る(DM・郵送等)のは煩わしいし、一歩間違えば、詐欺に遭うかもしてない、そう思います。しかし、その「いろいろの情報」の中に、その人の生き死にに関わるような決定的な情報があるかも知れないのです。そう思うと「無意識のうちに生きることの疑問を解く熱意を、外部から規制」することは、疑問があります。

http://page13.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/r9013853

 

ひとつ御礼

 投稿者:だんま  投稿日:2005年 9月 2日(金)00時13分37秒
  ●「もうひとつ」でおねだり(?)した「漱石の市民社会批判」が手に入ることになりました。お名前は出しませんが、近くにいた方から提供の申し出がありました。うれしいです。ご報告いたします。

(それにしてもこの論文は著作集にどうして載ってないのかしら。文面の記憶がないので踏み込みませんが、滝沢漱石論の本音のひとつはペルソナ論と市民社会批判論を結ぶことにあったのではと勘ぐっている小生には腑に落ちません。神学とマルクス経済学への傾斜を結ぶミッシング・リンクでは。いいかげんなことを書きました。これ以上は「対話の部屋」で機会があれば)

●ところで、「不可逆」の初出ですが、たとえば1950年以前の文献であればどれでも構いません。これが初出だ、というのでなくても結構です。オークション(?)のように、これの方が古いぞ、と、古いぞ比べで遡って、初出にたどり着けば、と思っておりますので。坂口様の「原点」も同様、でしょうか。
 

おしえて 3

 投稿者:だんま  投稿日:2005年 8月29日(月)21時57分12秒
  また違う書き込みで失礼します。ブログに「思秋期」を書きました。御一読ください。

そして「対話の部屋」にてご教示ください。
 

個人情報とは何か?

 投稿者:石井一男  投稿日:2005年 8月28日(日)22時08分21秒
   仮に住所と電話番号が個人情報だとしたら、電話帳の利用は、おろか、年賀状の発送も困難になるのでは、ないでしょうか。他人に知って欲しくない情報とは何でしょうか。
わたしは、坂口様の言い分をもっともだと思いますし、行き過ぎた個人情報保護は、情報を利用するものにとって、非常に重大な権力の介入だと思います。
滝沢先生は、この問題に直接、ふれた発言はないとおもいますが、『聖書』の福音書こそ「人生の指南書」と考えれば他人の人生に触れる「情報公開」の最たるものではないですか。「私のことは、そっとしておいて欲しい」という生き方には「真実を探求する」という姿勢は考えられません。そもそも、出版するという行為そのもの「私的な情報を公開する」ということですから。批判を批判として受け入れるという毅然とした態度がなければ、どんな情報も一方的なプロパカンダに過ぎません。当然、こういう私の発言に反対意見のが、いると思います。論争しましょう。

http://blog.goo.ne.jp/kazuoisii-123

 

もうひとつ

 投稿者:だんま  投稿日:2005年 8月27日(土)20時50分3秒
   会員のどなたかに、もう一つお願い。
 滝沢さんの「漱石の市民社会批判」という論文だけコピーでいただけないでしょうか。乾元社版と洋々社版の『夏目漱石』にあった筈です。滝沢著作集の3,4には収録されていません。以前乾元社版で読んでいますが、これをうっかり手放してしまい読めないままです。実費払います。メールでご連絡を。
 坂口様、「原点」、あの三一版のタイトルで印象に残っています。69年前後なのでしょうか。面白いですね。注意してみてみます。
 

「原点」も

 投稿者:創言社・坂口博  投稿日:2005年 8月27日(土)05時10分45秒
   だんま様、同じような質問です。
 「原点」という言葉が、積極的に使われるのは、山本義隆との往復書簡あたりからでしょうが、「初出」するのはどの文献でしょうか。
 必要あって、田川建三との「原点論」論争から、谷川雁「原点が存在する」や渡辺京二「六十年安保と吉本隆明・谷川雁」などを読み返していて、気になりました。「かりに「原点」という言葉で言い表す」(『キリスト教と日本の現情況』所収の「「人間の原点」と私の呼ぶもの」)。この「かりに」に注目しました。
 

教えて

 投稿者:だんま  投稿日:2005年 8月27日(土)01時04分43秒
   坂口様、ちがう話題ですいません。
 会員の皆さん。またまた? 「教えて」の書き込みです。
 滝沢さんのキーターム、「(絶対)不可逆」ないし「(絶対に)逆に出来ない」が初出するのはどの文献でしょうか。ザッへがどうのというのではなく、単純にその言葉を問題にしてます。

 小生の調べでは五十年の『仏教とキリスト教』にそれがどちらも出てきます。しかし、『西田哲学の根本問題』にも『カール・バルト研究』にさえ出てこないようです。すると、41年から50年のあいだだと見当をつけていますが、その間の文献をしらみつぶしにしてません。先に聞いてしまおうという魂胆です。五十年以前の文献で指摘ください。
 

不快な思い

 投稿者:創言社・坂口博  投稿日:2005年 8月24日(水)22時06分32秒
   「会報」第42号が届きました。総会・等石忌に引き続き、さまざまなご苦労があることと存じます。事務局のみなさま、お疲れさまでした。
 ただ、4頁の記事には、長い「一言」がございます。事務局長・村上巌さまには「不快な思い」を与えることと思いつつも、黙って見過ごすことができないのです。
 ことは「名簿」の扱いにとどまるだけでなく、協会のあり方、人間理解の根本にも関わることと考えるのは、私の思い過ごしでしょうか。
 問題の弓立社からのDMは私のところにも届いておりました。創業当時は愛読者(直接購読)だったので、今まで何度もDMが来ていたので、封も切らずに、ただ捨てはせずにおりました。「会報」を読んで、開封しました。

「滝沢協会会員の皆様へ
突然、このようなDMをお受け取りになって、ご不審のことと存じます。
協会の方のご了承をえて、名簿をいただき、お送り致しました。
「吉本隆明全講演ライブ集」の予約購読者で滝沢協会の会員の方がいて、滝沢さんと吉本さんには共通する思想がある。この企画に興味を持つ方がいるかも知れないので、協会にお願いして、送ってみたらどうか、というお申し出がありました。
そこで、お送りしたのですが、不要だという方には、以後お送り致しませんので、ご面倒ですがご一報下さい。
04.11.8 弓立社 代表 宮下和夫」

 私には、これに対して「誠に遺憾であり、不快な思いをされた方にはこの場をお借りしてお詫び申し上げる次第」とか、「当協会の名簿に基づくデータの破棄と今後の送付の停止を通告」とか、「名簿を……協会の外部へは洩らされませんよう」などという発想が、まったく理解できないのです。滝沢克己協会は「秘密結社」ですか? 「世界」に広く開放された「場」ではないのですか。
 そもそも、「個人情報」とやらの昨今の政府主導の方針に、何ら批判的な視座なしに追随したような主張に、私は「不快な思い」を抱くのです。いったん公開した「情報」(協会名簿も同じです)が、どのように利用されようとも、そこから直接の「被害」が生じない限り、拒否はできません。何も無断で使用したのではなく(毎日届く大量のDMには、どこから「個人情報」が流れたのか不明のが多い)、きちんと経緯を説明したDMに対して「送付の停止を通告」などという強権的な対応はいかがなものでしょう。誠意を尽くした「弓立社代表 宮下和夫」氏へ、きわめて失礼な対応と感じます。購読を申し込むか否かは、それこそ「自己決定」にゆだねられています。「外部」を措定して「洩らされませんよう」というのも同じく強権的です。私には、滝沢協会に関しては「外部」も「内部」もありません。
 福岡においての名簿作製実務は私が担当しておりましたので、いささか長くなりますが、もう少し続けます。もちろん、協会員であっても諸般の事情で名簿公開を拒否される可能性はあります。ただ、私の担当した期間では、そのような事例はありませんでした。
 当時の幹事会では、もっと「個人情報」を増やした「名簿」作製の声も出ておりましたが、住所(と電話番号)が妥当ではないかという意見で治まっていました。
 思えば、昨年福岡からの「会報」と「思想のひろば」第16号発送時には、こぶし文庫の滝沢克己『西田哲学の根本問題』刊行のDMも同封しておりました。これは幹事会の了承を得てはおりますが、革マル派のこぶし書房ということで、一部には「不快な思い」をされる方もおられることを考慮しつつも、協会員への「情報」伝達が優先と判断しました。同様のことが弓立社にも適用できないのでしょうか。協会からの「会報」発送時に、こうした「情報」を同封するといった柔軟な発想がどうして出来ないのでしょうか(「協会にお願い」という文面に引っかかります)。
 「個人情報」なんとか法は、はっきり言って悪法と、私は考えています。もちろん、これには異論も承知です。ただ、最近知った事例を挙げれば、沖縄・糸満の「平和の礎」でも、戦死者名を入力すればかつては戦死した場所など、詳しい「個人情報」が開示されていたのが、今は出身地だけになったそうです。護りたいものと失うもの、「不快」を与えるものと感じるもの、その差し引きで判断していかざるを得ません。今回は、私の与える「不快」よりも、私の感じる「不快」が、私において勝ったのです。
 

広谷さん、ありがとう、ございます。

 投稿者:石井一男  投稿日:2005年 8月10日(水)07時19分17秒
   昨日9日、滝川の三浦華園で妻と、広谷さんを、お待ちしていたところ、7時少し前に、札幌からの、お帰りに滝川で車で寄っていただきました。広谷さんは、小柄な、しかし体躯のがっちりした方で、いかにも保育園の園長さんという感じで、カトリックの牧師さんというイメージとは、ちょっと違っていました。さっそくタクシーで松尾ジンギスカンに行き食事をともにしながら、『滝沢先生』のこと、協会のこと、など時間がたつのを忘れて、お話しました。中でも滝沢先生の家を、創言社の村上一郎さんと、訪れた貴重な写真を見せていただき、私もいつか、お尋ねしたい、と思いました。


 楽しいひと時を過ごして、我が家へ帰ったところ、家で一人で寝ているはずの母の姿が見えず、近くへ買い物に行ったのかと、思い20分ほど、待って、いましたが、「もしや」と。思って近くの交番に行ったところ、警官が「石井さん、大変です」と言われ、「何事」と思ったら、母が、[家の、外に出て自分の家がわからず、付近の家の人に交番に、連れてj来て、もらった」との事。赤平の弟が、少し前、自宅に連れて帰ったとの事。
前にも、何度か[家がわからなくなって、探したことは、あるが警察にいったのははじめて。母に聞くと、[警察のひとが、家に来て連れて行った、」の一点張り。ヤレヤレ。  広谷さんからお借りした「現代の医療と宗教」を、読まずに寝てしまいました。

 今朝、早くに起きて昨日の「現代の医療と宗教」を読み始める。じつは、わたしは「世界救世教」の信者であり、「岡田茂吉氏」ついて、本を読んだりしていました。後で、滝沢先生へ論を、まとめて書きます。まずは、お知らせ。

http://blog.goo.ne.jp/kazuoisii-123

 

(無題)

 投稿者:だんま  投稿日:2005年 7月31日(日)12時03分13秒
  石井さんが入会してくださるとのこと、大歓迎ですね。北海道というもいいですよ。滝沢さんの本拠が福岡ですから、一挙に東に伸びた感があります。うれしいですね。ご一緒に学ばせていただきます。よろしくお願いします。
ところで、石井さんの奥さんはすごいですね。130カ国というと、意識してでないといけないですね。いま世界には190以上国があるはずですよね。狙ってますか、世界制覇。ま、それはともかく、小生は30台の半ばでフランスに2ヵ月半滞在、その後2週間でヨーロッパを時計回りにぐるりとしたことがあります。無趣味ですので都市風景を見たり名所を尋ねたりでしたが、人形といった接点があるとより楽しいでしょうね。現地の人とも交流が出来るのでは。読売の記事は拝見してないのですが、心しておきます。お母様の介護のほうもお元気で・・・
 

滝沢克己協会に入ります

 投稿者:石井一男  投稿日:2005年 7月29日(金)22時54分19秒
  このサロンに書いていて滝沢克己協会に入ることにしました。先日、申し込み書も送っていただき、これからは協会員として、皆さんと一緒学びたいと思います。あらためて、よろしく、お願いいたします。最近はテロ、とか物騒なことが多いですが、明るいニュースをひとつ。実は、私の家内が世界130ヶ国を旅行していて、各国の人形展を9月から、はじめました。私は、あまり興味ありませんが、それでも、民族衣装をまとった人形をみていると心が、和みます。興味のある方はお問い合わせ下さい。0125−42−3002番です。今日の読売新聞に掲載記事があります。石井節子といいます。北海道に来たら、一度、たずねて下さい。

http://blog.goo.ne.jp/kazuoisii-123

 

励ましの言葉に感謝

 投稿者:広谷和文  投稿日:2005年 7月28日(木)17時59分53秒
  だんまさん、暖かい励ましのお言葉ありがとうがざいかした。
8月9日、滝川へ行ってきます。そのときのことは、又お知らせします。
是非北海道へいらして下さい。そして、よろしく、ご指導下さいますように。
石井さんへ。わたしのメールが、どうもうまくつながっていないようなので、
明日改めて、FAXします。
 

代替医療について

 投稿者:石井一男  投稿日:2005年 7月28日(木)06時22分51秒
   昨日、健康食品の説明会に行って、健康食品、とくにガンに効く食品について説明うを受けました。保険薬で無いので値段は、高いですがAHCCを飲まれている方、またガン治療中のかた、いらっしゃれば、体験談を聞きたいと、思います。

http://blog.goo.ne.jp/kazuoisii-123

 

ごあいさつ

 投稿者:だんま  投稿日:2005年 7月28日(木)00時41分15秒
  滝川の石井さん、釧路の広谷さん、こんにちは。おふたりが8月9日に会われるとのこと、いいですね。話がはずんで「学ぶ会」が開かれることを期待します。そのときは小生も行きたい。北海道は未知の地ですので。いい知らせ待ってまーーーース。  

啓示板の皆さんに

 投稿者:石井一男  投稿日:2005年 7月23日(土)08時42分55秒
   釧路の広谷さんと連絡がとれまして、8月9日に滝川で会うことになりました。
北海道での「滝沢克己協会」の開催も夢ではなくなりそうです。「知床」が世界遺産に指定されたり、わが町滝川の名物ジンギスカンが今、日本中のブームになったり、何かと話題に上っていますが、じつは、東京のある不動産関係の方から、貸し会場の運営を頼まれています。本州方面の企業の方で、北海道でビジネスを考えておられる方、格安で事務所、店舗を提供しますので、ご一報下さい。わたしは、介護関係の事業の方なら大歓迎しますが、他の職種でもかまいません。研修施設、語学学校、予備校、なども歓迎します。
 あまり書くと営業になるので、これくらいにします。
ところで、私は今、小林孝吉さんの[滝沢克己 存在の宇宙」を読んでいますが、213pの、「<心>とは<罪>である。−それが罪の現象学の頂点『こころ』の問題なのである。」という一文で、今までどうしても罪というものに今、ひとつ納得できなかったのが、まるで嘘のように理解できました。つまり私が私でいるかぎり、自分の心というものをまた、わが身を一番大切に思う。しかし私の背後には父なる神の、私を、この地球上に誕生させた私の本当の父がいらっしゃる。そこに目覚めること意外に私が生きる目的も、喜びもないのだ。そのことを滝沢先生は力説されています。だから、放蕩息子が父の元へ帰ったように、ただ、振り向けばいいようになっているのに、私たちは、がむしゃらに「前へ、前へ」と歩むその先はみずからが創造した自己愛の地獄と虚無の世界しか、待ってはいない。『心』というものの正体が「罪」だとわかれば、ただ、父なる神の大愛に頼るしかない。そのことだけを自らの死をもって証した人ーそれがイエスである。
 また、福音書の記者たちも、イエスの生涯をその視点から描いているから、後世の世界中の人々に理解され、信仰の書、霊感の書、といわれる所以だと思う。小林孝吉さんのこの力作は、たくさんある「滝沢哲学入門」書のなかでも傑作の部類だと思います。
 恋愛、結婚、人との離死別、病気、高齢介護、死、と人生におけるさまざまな悩み、問題は、その都度、この心(罪)からの解放、神への目覚めのチャンスである、ということを今、学んで、います。

http://blog.goo.ne.jp/kazuoisii-123

 

釧路の広谷さんへ

 投稿者:石井一男  投稿日:2005年 7月19日(火)21時52分51秒
   釧路の広谷さん、初めまして。滝川の石井です。夢ではないでしょうか?。わたしのメールアドレスはkazuoisii-123@mail.goo.ne.jpです。貴重なサロンに、個人的な会話はふさわしくないと、おもいますので、私のメールに連絡下さい。どんな方なのか、今から、お会いできるのを楽しみにしております。私の近況は現在ホームヘルパーの養成講座を運営しています。8月7日が終了日です。これは、ボランテアでやっていまして、現在15名の方が2ヘルパーの資格のために、勉強しています。来月から介護福祉士の講座をやる予定です。釧路には2,3度行ったことがありますが、母の介護をしているので、家をあけるのは難しいですが、もう一度、行きたいですね。それでは、メール楽しみにしています。さっき、元、全共闘の山本義隆さんの本のページを見て、35年前の滝沢先生との往復書簡のことを思い出しました。懐かしいです。一杯、お話したいです。

http://blog.goo.ne.jp/kazuoisii-123

 

釧路の広谷です

 投稿者:広谷和文  投稿日:2005年 7月19日(火)13時15分37秒
  さきほどは、メール・アドレスを入れないで、送ってしまいました。同じ内容ですが、改めて送ります。よろしく。  

釧路の広谷です

 投稿者:広谷和文  投稿日:2005年 7月19日(火)12時51分3秒
  釧路の広谷です。先週偶然この『サロン』を見つけ、初めて投稿します。よろそくお願いします。滝川の石井一夫さんが言われる北海道「滝沢克己を学ぶ会」、北海道で滝沢協会の集いを開催すること、大賛成です。私もそういう夢をもっていましたが、実現できそうな気がしてきました。とてもうれしいです。ときとき札幌へでますので、よろしかったら一度お話しできませんでしょうか。初めての書き込みなので、今日はこの辺で失礼します。  

お訊ね

 投稿者:Basler  投稿日:2005年 7月 1日(金)09時51分21秒
   同僚に質問されて「そういえば」と思い、お訊ねいたします。
 例の≪バルメン宣言≫の原文(翻訳でもどちらでも)が載っている資料、ご存知でしたらご教示くだされば幸いです。
 

感謝申し上げます

 投稿者:Basler  投稿日:2005年 6月29日(水)17時40分4秒
   石井さん、皆々様、感謝申し上げます。有り難うございました。
 数日を経過して、いろいろと考えさせられています。初めのうちはフムフムと聴いていて、どうして最後まで《フムフム》と通さなかったのかなァなどとも思います。《ためになるお話有り難うございました。久しぶりにお会いしてうれしかったです。君とだけだったらもう少しお話もあるのでしょうけれど、まぁ後日・・・!》と追い返す手もあったのかなァなどとも考えています。
 こういう《勧誘?》を受けたのは実は《初めて》ではありません。しかし、こんなに後味の悪い思いをしたのは久しぶりです。
 いずれにしろ、《人生は短い》です。《階前の「木吾」葉すでに秋声》ですから。
 石井さん、あらためて、有り難うございます。
 

Baslerさん、同情します

 投稿者:石井一男  投稿日:2005年 6月27日(月)08時21分20秒
   Baslerさん、同情します。こういう体験を今まで、一度も体験されたことがない、ということのほうが、ぼくには不思議に思われますが、連立与党を組んでいるある政党の母体が、この手の宗教団体です。自分の宗教以外は全て邪教とは、いやはや、恐れ入ります。実は、僕の幼馴染の初恋の彼女が、この宗教に入信していて、あなたと、同じように折伏されました。「憧れの彼女が、なぜ、あんな宗教に?」と、頭のいい、美人の彼女だけに、いまだに納得がいきません。そのときは、滝沢先生の言葉は思いだせませんでしたが、その後、「般若心経」を読んだり、「仏教」の本を読んでいくうちに、[信じる」ということの、「怖さ」を痛感しています。
 また、共産党の人の話をきいても「人間は、環境によって作られる」という素朴な「人間、性善説」を、同じような気持ちで、聞きました。しかし、「自分の中の悪」に目覚めない、あるいはインマヌエルを、滝沢先生のように理解しなければ、一歩も、この世を安心して、おおらかに生きることはできない、としみじみ思います。「神の子」イエスは、私の罪のために死なれた、あの「ゴルゴタの十字架」のイエスの死を、どう理解するか、が問題の解決のすべてです。Baslerさん。先生の命日に、こういう体験を、なされたということに、何か意味が、あるのではないでしょうか。今、痴呆の母が、二度目の朝ご飯を食べています。今、食べてことをすぐ忘れる、という独特の症状ですが、もう慣れました。こうして滝沢サロンで、皆さんの、お話を聞けるのが、僕の唯一の楽しみです。

http://blog.goo.ne.jp/kazuoisii-123

 

折伏?!

 投稿者:Basler  投稿日:2005年 6月26日(日)23時33分10秒
   きょうは奇しくも故先生のご命日です。午前中に、大学時代の友人から三年ぶりに電話があり、《お話がしたいので訪ねて良いか》という。就職の相談か、あるいは保険でも入って欲しいというのか、と思いつつ了承すると、何と見知らぬ連れの女性を連れての《仏法の話》だった。この女性のハナシが支離滅裂、ひどい内容だった。《キリスト教》をさかんに攻撃する。しかもその《攻撃》が無知と曲解に基づいているからなおのこと始末に悪い。挙句の果てに《無抵抗で殺された無残なしるしの十字架をなんで有り難がって信じているのか。それだけでもキリスト教は邪教だ、と分る!!》と来た。わたくしの応対は丁寧すぎたといえば丁寧すぎたのだろう。《成仏ってどういうこと?キリスト教では神は神、人は人で決して渡る橋はないんだ。ただ、それでは切れているのかって言えば違うんです。接している。このままで。シッダールタと釈迦とは同じなんですか違うんですか?》などと《抵抗》したが意味をまるきり《分って》はもらえなかった。わたくしは言葉を失ったが、要するにこの女性は、《仏法を信じなければ地獄に落ちるぞ、業病にもかかるぞ、死んだら腐臭を放つぞ、死後硬直もするんだぞ。信じなければ不幸になります》と脅かす。しかしわたくしは《わたくしが信じようと信じまいと、すでに神と人との接触は少しも損傷を受けずに成り立っている。わたくしはそれで充分、死んだらどうなるかなんて関心はない》とつぶやいたり叫んだり。
 恐ろしい思いのするひとときだった。彼女に言わせれば彼女の勧める《教え》以外はすべて《邪教》なのだそうだ。恐ろしいとばかりも言ってはおれない。それでわたくしは、この女性に対しては《出て行って欲しい》と玄関から外に追い出しておいて、《わたくしが言うキリスト教ってせめてどんなことなのか分って貰いたい、これを読んで欲しい》と、20年前に故先生の訃報に接して自分で書いたわたくしにとっての初めての聖書観・・・《瀧澤先生を悼む》・・・を友人に送ることを約束した。
 それにしても恐ろしい体験であった。
 

聖書

 投稿者:  投稿日:2005年 6月21日(火)19時50分35秒
  聖書による者は永久に倒れることなし。内村鑑三

あなたがたがわたしにつながっており、
わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば、
望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる。ヨハネ  15:7

日々多くの言葉に触れ続けるうちに
聖書がわかるようになりました。

毎日読んでも飽きないですよ〜!

http://s03.as.wakwak.ne.jp/bbs/mkres5knx/mkres5k.cgi?500702

 

総会報告の件

 投稿者:joy  投稿日:2005年 6月21日(火)19時31分5秒
   総会の様子はその日の深夜に最新情報のページで間髪を入れずにご報告してありますので、そちらをご覧下さい。それ以上のことは、協会報が会員には送られますので、それまでお待ち下さればと思います。  

「 滝沢克己の世界」を読んで

 投稿者:石井一男  投稿日:2005年 6月21日(火)08時27分43秒
   「滝沢克己の世界」−柴田 秀著 をじっくり時間をかけて読みました。今まで、滝沢神学の学びのなかで、よくわからなかったところが、少しずつ理解できました。特に八木神学との論争点46p〜50pの論文は長年のわたしの疑問、なぜ日本のキリスト教会の人々は滝沢神学を敵視するのか、とういうことに回答をあたえてくれた。 
 つまり、八木神学はイエスキリストの言葉に魅せられて人々に、その人の足元にあるかのインマヌエル(第一義の)を無視して、その人に起こった偶発的な信仰、感動、感激など第二のインマヌエルを最大の根拠として宗教として教えその人の一生を支配する。しかしながら滝沢神学においては、神の認識よりも、まず神の存在に思惟を集中しーまことの神ありーゆえにまことの人(イエス)あり、と教えるーここが他の神学者と袂を分かつ所以である。一言でいえば、わたしが信じようと信じまいと、お構いなく神が存在する。
 そういう意味で神、(我ら)と共にあり、なのでこの我らをキリスト教会の信徒のみでは、ありえない。 その他の箇所でもずいぶん、教えられるところがありました。
 6月18日、の総会の様子、速く知りたいのですが、いつ頃、ホームページに掲載されますか。

http://blog.goo.ne.jp/kazuoisii-123

 

滝沢哲学はこころの故郷

 投稿者:石井一男  投稿日:2005年 6月18日(土)22時37分23秒
   先日、母校の高校が閉鎖になると言うので、校舎(私が卒業した頃の校舎ではないが)に行った。何年か前に高校野球で甲子園に行った砂川北高だが、その記念パネル展で偶然にも40年前に投稿した「聖書について」という私の文章が掲載された学校新聞を発見し1部頂いてきた。40年前・・・わたしが高校二年生のときである。今、読み返すと赤面の至りだが、その文章を書いていたころの私は純粋に人生を考え、ある意味では聖書と格闘している時代である。滝沢先生も中学のころ聖書を読んで、何の感動も覚えなかったと書かれた文章を読んだ記憶があるが、日本人である私には「神」という言葉の定義が大事であって、自分自身の人生の具体的なかかわり、については、まだ意識すら感じていなかったと思う。今、57歳になって、あらためて「神」という言葉の定義を考えた時「神を問う」そのことが「自分ならぬ他者であるところの存在者」というものを想定した姿勢で問題を問う限り、永遠に解決されないことに気がついた。滝沢先生は長い間、八木神学と論争していたが、八木神学には論理はあるけれど、ハートが感じられない。愛というものを論じていてもそこには血の通った人間がいないとういうところが、滝沢神学と違う、と思う。滝沢先生のすばらしさは一文読んだだけでも、そこに滝沢克己と言う哲学者の生活と、学問が連動して理解できるのだ。西田哲学を始めて読んだときの驚き、これは日本語の文章か?と思わず言いたくなる難解さ、滝沢先生ならずとも,後ろ手で、部屋の中をグルグル回りたくなる。私の頭が悪いばかりでは、なさそうだ。滝沢先生の意見や主張が飛び出す源、そこがインマヌエルであり「こころの故郷」なのだ、と言うことを最近、やっと理解できるようになった。「世界はこうなっているんだ」という「カール・バルト」や[西田幾多郎」のもとで見出した「発見」は先生の亡き後もこうして、わたしの人生を捉えてはなさないのだ。もう、わたしの人生の残り時間も少なくなってきた。本格的に滝沢哲学を実践しなければ、あの世で滝沢先生に笑われるだけだ。

http://blog.goo.ne.jp/kazuoisii-123

 

各地での集まり

 投稿者:joy  投稿日:2005年 6月12日(日)10時59分32秒
  石井さん、熱意ありがとうございます。石井さんのような熱心な人がどんどんもり立てていってくださればと思います。まだ東京も、船出を始めたばかりです。ぜひ東京の集まりにお越しください。そうやって人との出会いがあり、交流が盛り上がれば、各地での集まりも自ずと実現の方向に持って行かれることと思います。  

北海道、滝沢を学ぶ会について

 投稿者:石井一男  投稿日:2005年 6月11日(土)17時26分2秒
   わたしは、滝沢先生のことを北海道の仲間で、ともに勉強したいと思います。どうしても東京、九州と内地にばかり集会が集中しています。滝沢克己協会の皆さん、是非、北海道でも集える会合を企画してください。なんといっても、昔、クラーク博士が「ボーイズ、ビー,アンビシャス」ー「青年よ、大志を抱け」といったところです。夏の暑い時、涼しい北海道で勉強するのは内地の方もいかがですか?。メロンもジンギスカンの手配も、わたしがいたします。一度、企画してください。

http://blog.goo.ne.jp/kazuoisii-123

 

(無題)

 投稿者:石井一男  投稿日:2005年 6月10日(金)20時33分12秒
  本屋さんに注文してあった「滝沢克己 存在の宇宙」「滝沢克己の世界インマヌエル」[滝沢克己」がいっぺんに入荷して、嬉しい悲鳴を上げています。私にとって滝沢克己という人は本当に師というイメージにぴったりです。夏目漱石の[心」の先生のようです。特に「一般概念と個物」についてかかれた「滝沢克己 存在の宇宙」は私のつたない哲学の学びに大きな力となってくれることを直感しました。
 今、介護事業をやっているわたしにとって「現代の医療と宗教」という本が、どうしても、読みたいです。どなたか、譲ってもらえないでしょうか。

http://blog.goo.ne.jp/kazuoisii-123

 

追加訂正

 投稿者:創言社・坂口博  投稿日:2005年 6月 8日(水)09時53分14秒
   私が管理している掲示板では、投稿者による編集機能がついているので、追加事項を加えようとしましたが、不可能だったので。
 滝沢克己『読解の座標』は、汚本(返品本)のみ残っています。あしからず。
 

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