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知性の犠牲

 投稿者:閲覧者  投稿日:2015年12月 3日(木)22時41分52秒
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  エス様、コメントありがとうございます。エス様というお名前はどこかで見かけた感じがします。他の掲示板か何かに投稿しておられませんでしょうか?フロイトの「イド」としての「エス」か・・・と印象に残っていたのです。ところで、伝統的キリスト教の神学者や司祭や牧師たちの「信は、真理に耳をふさいで、知性の犠牲を犯すような信」ではないか、と言われるのはそのとおりだと私も感じます。三位一体なんて知性の犠牲以外の何ものでもなく、しかしそれを固守することが敬虔であるかのように思い込んでいるふしがあります。大きな間違いだと私は思います。「奥義」だの「秘義」だのと神秘のベールにくるんでいます。しかし知性も神様から与えられた賜物であり、これをおろそかにすることは不信仰だと思います。考えるべきは考え、批判すべきが批判しなければならないと思います。そんなおかしな伝統的キリスト教に滝沢自身が入ったのですが、これがげせません。それはともかく、「超人格」と「人格」とはどう違うのでしょうか?「人格神」という言葉がありますが、「超人格神」という言葉は聞いたことがありません。バルト神学における「神」が伝統的キリスト教の「人格神」であるとしたら、エス様が言われる「超人格」の「神」・・・すなわち「超人格神」ってどんな神ですか?いわゆる「人格神」と、なにがどう違うのですか?どうか教えて下さい。よろしくお願い致します。  
 
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