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心したい2つの予言

 投稿者:ehyehist  投稿日:2015年12月 4日(金)14時15分2秒
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  三島由紀夫氏の有名な、<私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このままいったら「日本」はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機質な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、ある経済大国が極東の一角に残るであろう。>(~「果たし得ていない約束」『サンケイ新聞』昭和45年7月7日夕刊)という言葉は今の日本国の姿をものの見事に予言したと思われますが、同じ頃、キリスト教の分野でも今の日本のキリスト教について予言した人がいます。
<神学と呼ばれる世界の言葉の遊戯は「イエス・キリストのみが――全知なる神である」となって「父なる神」を見失ってしまっております。これは大変なことだと思います。>(小田切信男著『キリスト論・ドイツの旅』p263)
過去においては「キリスト一元論」(Christo-monism)と揶揄されたカール・バルトの神学への批判とも取れますが、将来においては昨今、ファンダメンタルなキリスト教派の中に「ジーザス・オンリー」とか「ワンネス」とか云われる「キリストのみ神」的教会が隆盛しており、その予言とも取れます。
「父なる神」を見失ってしまっているという批判に堪え得る神学は、小田切氏自身のそれ以外では、滝沢克己先生の神(人)学くらいしか、私には見当たりません。「インマヌエル(の原事実)」における「神」とはイスラエルにおける父なる神(イザヤ63:16、エレミヤ31:9)であると同時にイエスが弟子たちに「われらの父」として示されたお方(マタイ6:9、ルカ11:2)だからです。
 
 
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