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擬人化された神と超人格

 投稿者:S  投稿日:2015年12月 6日(日)16時23分21秒
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  いわゆるキリスト者は、神を人に擬して語り、そのような擬人化された神を人格神と呼んでいるにすぎないのではないでしょうか。他方で、有限な人間は、神をある程度擬人的に語らざるを得ないということも事実です。しかし、無自覚的な擬人化と、ある程度擬人化せざるを得ないことを自覚することとは、雲泥の差があります。

あえて後期ハイデッガーを引用します。「人間は、存在に語りかけられることによってのみ、人間の本質のうちに本質現成する。」(GW 9,323) 「語りかけられる」というのも一種の暗喩(比喩)なのですが、そのように表現せざるを得ないものが、祈りを含めたすべての人間的営為に先立つのです。そのようなものが超人格的と言われるのです。

最後に、『バルト=滝沢往復書簡』から滝沢先生の言葉を引用します(128頁)。
「しかし、新約聖書においてイエス・キリストと言われる唯一の神、永遠の神は、直接私に語りかけて、彼はいかなることがあってもすべての人と共におり、すべての人間を神ご自身において一つとなす、と言われるのです。」(寺園訳)
 
 
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