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1年の始めに、あらためて私にとっての滝沢神人学最大の謎

 投稿者:知足  投稿日:2016年 1月 1日(金)13時16分32秒
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  新年あけましておめでとうございます。どちらさまも、本年もよろしくお願い申し上げます。
1年の始めに、あらためて私にとっての滝沢神人学最大の謎をちょろっと書いておきたいと思います。それはズバリ、「滝沢先生はイエスの父なる神に向かって祈られる時、その『父なる神』をどのようにイメージしておられたのか?」という一点です。この点について語られている箇所を御著書から探すのは困難です。おそらく滝沢先生にとって「神」とは対象的に把握されるものではないので、イメージするということ自体が不適当だったでしょう。あくまでも「インマヌエル」(神、我らと共に)における「エル(神)」なのであって、それ自体を対象化し、客体的に観ることは不毛な思弁に陥るからでしょう。
しかし実際問題、神に対して祈るにはそれなりのイメージが必要だと思います。聖書には「神」をさまざまなイメージで表しており、イエスも父親のイメージで祈っていたことでしょう。いずれにせよ、「神」との関係は神秘主義的に一体化しようとしたら常人はもちません。対人関係と同様、対神関係も「付かず離れず」、美輪明宏さんの言い方を借りれば「腹六分」くらいがちょうど良いと感じます。
ちなみに私は、神に対して祈る時、果てしない宇宙空間をイメージしています。私にとって「神」は被造物に内在せず(するのは「神」ではなく「神の霊」)、被造物の方が「神」に内在するのです。
「宇宙と、そのうちのすべてを造られた神は天地の主であり、手で作った聖所などには住まわれない(ホ セオス ホ ポイエーサス トン コスモン カイ パンタ タ エン アウトー フートス ウーラヌー カイ ゲース ヒュパルコーン キュリオス ウーク エン ケイロポイエートイス ナオイス カトイケイ)。・・・・なぜなら、われわれは彼(=神)のうちに生き、動き、存在する(エン アウトー ガル ゾーメン カイ キヌーメサ カイ エスメン)。」(使徒行伝17:24・・・28)
 
 
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