スレッド一覧

他のスレッドを探す  スレッド作成

新着順:101/1934 記事一覧表示 | 《前のページ | 次のページ》

伊勢湾台風を直に経験しました。

 投稿者:近藤礼三メール  投稿日:2019年 9月17日(火)16時06分2秒
  通報 返信・引用 編集済
  石川勝之助君の「9月は災害の月」と記述したように確かに9月は巨大台風が日本列島を襲い激甚な被害を被る月と言えましょう。
なかでも立春から数えて210日、220日あたりが最も危険であるとの言い伝えは間違ってはいません。
 *立春(2月4日頃:節分)から210日=9月1日、220日=9月10日、但し年によりズレあり。

そして戦後長らくは、台風の名前は女性名称、ゆえに9月後半の遅まき年増の台風は、時にはより危険であるとも言われていました。
石川君の話の中に書かれている激甚な被害を被った昭和34年(1969)9月26日の伊勢湾台風はジャスト50年前、
当時私は名古屋工業大学土木工学科3年、そこで猛烈台風が伊勢湾に上陸、当時の状況を思い出し以下に綴ります。

 1.本日は午前中で授業は取止めの指令、学生は研究室に残る者、雀荘に行くもの、自宅や下宿先に帰るものなど
      まちまちでした。我が足は中古の自転車、下宿へ帰る途中、今池(東京の浅草)の映画館に立ち寄りました。

 2.映画を見終わり外へ出たのが午後3時頃か、これまでに体験した嵐とは一味違う強風強雨、自転車を引きずり全身
     ずぶぬれで下宿着、当時は山岳部員、この程度はなんでもありません。
     夕方に停電、何もすることがないので8時頃に寝込んでしまいました。

 3.夜半強烈な風雨の音で目覚めましたが、独り身の気軽さでその後は朝まで熟睡し起床。

 4.幸いと下宿先の家は特に被害は無く、外に出て周囲を見渡すと、半数以上の家の屋根瓦が局部的に損傷しているものの、
     水害や倒壊等の顕著な被害は無く、今回の千葉県の被災地の状況も似た状況だと思います。

 5.9時頃大学へ、我が所属科の木造建物の窓枠の略全数は吹き飛ばされ、書類は散乱し水浸しでメチャクチャの状態でした。
   1週間前、図学の宿題の締切で、それらの作品も全て壊滅し提出か未提出かの記録なし。
   そこで教授は全員提出済みと認めパス、卒業後の同窓会の席上、実はあの時出していなかったのだと白状する者もいました。

以上は学内の呑気な話でしたが、そのうちに市内の悲惨な状況が伝わって来ました。
伊勢湾台風の被害は、東海道線沿線の海側、即ち中日球場側は全面水没、一方陸側は風雨の被害のみという極端な違いを呈しました。
なかでも甚大な被害を受けたのは、伊勢湾に面した港湾地区で、満潮と重なり港湾地区の堤防が決壊し、貯木場の巨大な丸太が
高潮に揉まれて市街地を暴れまわり、水が引いた後に泥に紛れた多くの死体が市街に残され、私も数件は見ました。

更に被害を大きくしたのは、名古屋から桑名の掛けての伊勢湾に木曾、長良、揖斐という三大河川が流れ込み、
それらの河口にある村落は、人文地理の教科書に載っていた「輪中集落」で堤防に囲まれています。
その堤防の決壊による犠牲者数を増やし、伊勢湾台風の死者行方不明者数は5100名、
東日本震災の2万名を上回る犠牲者には及びませんが、台風の被害者としては歴史的な大災害でした。

学生達は今でいうボランテア奉仕約1ヶ月、私は主に泥かきに土嚢作りをしたことを記憶しています。
また電気、給水、食糧、交通の状況はどうだったのだろうか、という記憶が殆どないことからみて、独り者学生では何とも言えませんが、
当時の市民の生活水準が環境に対する柔軟性が強かったのかも知れません。

さて悲惨なことばかりでしたが、中には気休めになることもありました。
クラスメートの一人が知多半島の半田市に在住、あいつは台風後出て来ないがどうなったのだろうと心配になりました。
そこで仲間3人で食料や救援物資をカンパで調達し自転車で半田市まで一走り。(東京ー横浜間の距離です)
幸いと彼の家の被害はなく、持参の品々は町内に寄付させて頂きますと大変感謝され、不便な状況下にご馳走にもなり恐縮しました。

報道は時に激しい被害状況の記事や写真を掲載し当地一帯がひどい被害を受けた印象を与えるがあります。
しかし、被害の程度には相当のばらつきがあり、僅かの場所の違い、運不運の違いで天と地の差があることを教えられました。

もうひとつの思い出。
台風後の約一ヶ月、東海道線の電気が止まってしまったようで、当時開通したばかりの特急東海こだま号(新幹線ではありません)
を蒸気機関車が牽引していたことを思い出します。
一昨年オープンしたばかりのJR東海リニア博物館の展示室にこの記録がないので、係の人にこの話をしたら知らないようです。
当時の写真を残しておけば「お宝」なのにと残念でした。

長くなって失礼しました。

 
》記事一覧表示

新着順:101/1934 《前のページ | 次のページ》
/1934